オランダ
 アムステルダム

関西国際空港に8:30am集合。関東から参加の私たちは前日大阪に入り、難波のホテル南海に宿泊する。難波から関空まで急行でおよそ50分。10:30am発のKLMオランダ航空868便でオランダのアムステルダムへ向った。およそ10時間45分でアムステルダム・スキポール空港着。現地では、ホテルまでの案内係りのフランクさんが待っていてくれた。ホテルまでの間にフランクさんが簡単なオランダの紹介をしてくれる。
オランダは裕福な国で世界からの移民が集まっている。植民地時代に築いた財で現在でもヨーロッパの中でももっとも裕福な国のひとつらしい。そのためか、生活補償も充実し労働者の最低賃金より高い生活手当てが支給され、おまけに「バカンス手当て」までもらえるらしい。だからあまり良い職に就けない人は働かないで生活補償をもらって生活しているらしい。シェル石油やハイネケンビールなど世界有数の企業を持っているのも大きな収入源である。しかし、こんなに裕福な国でもスリは多いらしい。そのスリもみすぼらしいスリではなく、スーツを着て身なりもちゃんとしてるのでなかなかスリだとわからないらしい。裕福な国だからこそのスリかな?
緯度は樺太と同じくらいらしいが暖流・メキシコ湾流のお陰で緯度の割には暖かい。国土は日本の九州よりやや大きめ。人口密度は日本よりも高いらしい。国土は近年まで「九州よりも少し狭い」と案内されてきたが、干拓のおかげで国土面積が広がっているようだ。移民が多く国も積極的に移民を受け入れて来たため、人種にたいする差別が徹底的に排除されている。人種差別に対しては国家が威信をかけて徹底的にそれを糾弾する。だから、日本人も何の違和感なしに受け入れてくれる。
夕陽に染まる運が沿いの家並みオランダの自由は徹底している。帰りのガイドさんが「協会からあまり紹介しないように言われていますが、ありのままを紹介するのもオランダを理解してもらうためには必要ですからお話しますが・・・」と紹介してくれた自由は、麻薬・覚醒剤がこの国ではフリー・合法のようだ。どうりで、「飾り窓」地区周辺に「大麻」が堂々と売られていたのもうなずける。おまけに、麻薬を買えない人には国が援助をしているらしい。ここまで書くとオランダが危険な国のイメージを持つがそれはない。ただ、覚醒剤を止めたい人には国が公的な施設で覚醒剤中毒を直してくれるらしい。もっともこれも本人の自覚次第らしいが・・・。帰りの飛行機もアムステルダム経由だったが、関空の税関チェックが厳しかった。「オランダのどこに何しに行って来たか?現地で何か預かりものはないか?」など、日本の税関でもオランダの覚醒剤フリーは危険視していることは間違いない。日本だけか、アムステルダムからニースに着いたときにも麻薬犬をロビーに待機させていた。EU圏内でも特殊な国のよう だ。
オランダの通貨の単位は「ギルダー」で1ギルダーがだいたい57円〜60円といったところ。10月30日に「レジソン SAS」ホテルで両替してもらったレートは1万円で181.46ギルダーだった。1ギルダー=55.1円と円高が進んでいる。ギルダーの単位の下にセントがあるが100セントで1ギルダーだ。枕銭はこの1ギルダーで十分で、基本的には枕銭は必要ないらしい。
 
さて、アムステルダム到着後ホテルに入って即市内散策。陽が傾き、なんとなくたそがれるアムステルダムの町は素敵なヨーロッパそのものだ。運河の多い町を歩くと画家「レンプラント」の家があった。でも5:00pmまでで閉まってしまっていたので中に入れなかった。もっともレンプラントという画家自体まったく知らない。知識が無い。見学していたら少しはここで説明できたかもしれないが、残念だが・・・。近くではレンプラントの画集なんかもよく売られていたぐらいなのでここを目当てに来る人も多そうだ。
それから賑やかな通りを町の中心に向って歩く。大きな広場に出くわした。ここがダム広場らしい。ダム広場には大きな塔が建っていたが、これは第二次世界大戦の戦没者記念碑とのこと、そう言えばオランダは戦後の極東軍事裁判では日本に対して厳しい姿勢を取っていたが、その戦争の一端がこんなところにあるなんて・・・。真正面には「王宮」がある。でもここに王様はいない。17世紀の市庁舎がそのまま王宮になっているらしいが今ベクトリア女王がいるのは行政や政治の中心地であるデンハーグである。普通そういうところを「首都」というはずなのに、アムステルダムがオランダの首都だなんてなんでかな?今はこの王宮は迎賓館として使われているらしい。因みに産業の中心地はロッテルダムでアムステルダムではない。世界一の港町もロッテルダムでアムステルダムは世界2位。3位はお隣ベルギーのアントワープらしい。このベルギーとオランダは昔同じ国で「ネーデルランド」と言われていた。北ネーデルランドの中心ホーランド州などがまとまって現在のオランダとなり、南ネーデルランドがベルギ ーになったらしい。たしかオランダがプロテスタントでベルギーがカトリックだったかな?間違っていたら済みません。この王宮の後ろと隣にスーパーマーケットとデパートがあるので、買い出しはここが便利です。オランダは裕福な国の割にはオシャレに関心が薄いのか、この町の中心地でも高級ブティックはない。この辺がイマイチ日本でメジャーな国になれないところかな?自由で高級ブティックが並んでいたらもっと観光客が増えるのに・・・。来年は日蘭友好400年記念でお祭りがあるらしいのでちょっとは注目されるかな?江戸時代、日本が鎖国をしていた時でもオランダとは交流があっていろんな西洋の文化、科学を吸収できたのもそう言えば今はお付き合いが薄くなったこのオランダです。本当は感謝しないといけません。
そこから少し進と「アンネ・フランクの家」がある。あの「アンネの日記」で有名なアンネ一家がナチス・ドイツから身を守るために隠れていた家だ。この日はもう6:00pmに近かったので入場できなかった。表札の前で記念撮影をしていたら、初老のご夫妻がシャッターを押してくれとカメラを渡して来た。うまく取れていたのだろうか?
この日はホテルで夕食を摂った。ホテル内のイタリアンレストランでしょっぱい「生ハムメロン」とハギ科の魚のようなこれまたしょっぱい「魚のフライ」だった。

2日目、10月31日は市内事情の視察、いや観光か?この日は7時にモーニングコールということで、ちょっと早起きかなと辛かったががなんと着いた翌日のこの日は10月最後の日曜日で前日までのサマータイムがウィンタータイムというか標準時間に戻る誹だった。つまり7時起床は、前日までのサマータイムでは8時ってことで、寝れる時間が1時間長くなっている訳・・・。サマータイム反対派の僕にも嬉しい一日の始まりとなった。
まずオランダといえば「風車の国」なのでザーンス・スカンスという風車の村へ出かけた。村の入り口にカメラマンが居て一人一人入場者の記念撮影をしてくれる。「帰りに売りつけられるのだろう」と思っていたら、売りつけられはしないがやっぱり「JAPANESE」の欄に陳列してあり、7.5ギルダーだった。ここで、2.5ギルダーコインを2ギルダーと間違って8ギルダー払ってしまった。なぜか25セント硬貨2枚を取らないなぁと思っていて差出したらニッコリ納めたのは、そのせいだった。風車の村に入るとまずチーズ工場みたいな家に入る。ここではチーズの作り方を勉強出来て、お土産のチーズやその他小物も売っている。工場みたいな場所に入ってガイドさんの説明を聞いていたら恐い女の人がやって来て「入るんじゃない!」みたいな事を言って、入り口のチェーンを閉めた。「こんなところに入れて見せるなんて、不衛生だなぁ?」と思っていたら入ったらいけない場所だったらしい。それから風車へ・ ・・。何機か風車があったけど回っていたのは1機だけで中に入って見学することができた。もちろん有料。4ギルダーくらいしたかな?内部では大きな石うすが猛スピードで回転していた。なんとなくホコリっぽいけどなんか感激。梯子のような階段を上って風車の外に出る事も出来る。この角度からの景色も格別だ。風車の羽の位置は無闇に止めてあるのではないとのこと。クロス十字で止まっていたら小休止。バツで止まっていたら故障修理などの長い休止。12時の位置をちょっと過ぎたところで止めていたら誰かが亡くなった合図で、逆に12時の位置の前に止まっていたら「赤ちゃんが産まれる」合図らしい。戦争中はもっと複雑な暗号がこの風車で連合国に送られていたらしい。風車の上で
ここでは木靴の制作行程が見られる。職人のお兄ちゃんが拙い日本語を交えながら説明しながら木靴を削る。今でもはいている人たちがいるようで、雨が多く低湿地の多いオランダでは雨靴の様に重宝されているらしい。ここでも木靴はいろんな種類が売っている。サンダルタイプのやつを記念に・・・と思ったが結構な値段がしていた。日本円で6000円ほどしていたと思う。だからやめた。定番の木靴のキーホルダーも買わない。さっきのチーズ工場で、木靴を履いてミルクタンクを持った女の子のキーホルダーをカミサンのお土産に買ったからだ。
そして売店でトイレを借りたが、確か50セント硬貨が必要でただでは入れないし、50セント硬貨が無くても入れない。1ギルダーコインか50セントコインはこういった出費にぜひとも必要な大切なコインだ。
絵葉書を少々買って、オランダから友達に手紙を書いた。いつもシンガポールやメキシコから絵葉書をくれる友達に送るためだ。ホテルで書いて送ったが1ギルダーだった。安いし、届いたのも早かったらしい。
それからフォレンダムという港町に行った。フォレンダムは、堤防で外海と隔てられ今は淡水化したアイセル湖にある。「民族衣装に木靴を履いた人たちが行き交う地方の村」と説明があるが、てんでそんな人はいなかった。もっともここではほとんど昼ご飯を食べただけのようなものなので、もっと散策したら違った味があったかもしれない。お昼は、何を頼んで言いのか適当なメニューがないので、ステーキにした。すると、今回の旅のメイン食材となった「ムール貝」を見つけたメンバーがいて。早くもさっそくそれを注文。みんなにも「食べて、食べて、おいしいよ!」と振る舞ってくれていたのでまたまた2人前追加でオーダー。ドイツの最終日の晩餐も中華を止めて「ムール貝」にしたとのこと。今回のメンバーははじめからかなり「ムール貝」に期待しているようだ。
お腹が膨れたところでアムステルダム市内に戻って国立ゴッホ美術館へ行った。ゴッホなら「自画像」と「ひまわり」くらいは僕でも知っているくらい有名だ。昔学生の頃「ゴッホの自画像って誰の作品か知ってる?知らんの?ゴッホやでぇ、自画像やもん」と喜んでいた友達がいた。今は何をしてるのだろう?西松建設へ行ったと聞いたが・・・。この建物は日本の黒川紀章の作品らしい。初めて知ったことだが、ゴッホの有名な「自画像」や「ひまわり」ってひと作品じゃないようで10幾つかの作品があるらしい。有名なのはその中のある特定作品なんだろうか?美術館は混雑していて、入場までに長蛇の列だが、団体さんは別の入り口があってすんなりと入れた。団体割引で10ギルダーだったが個人入場料は確か12ギルダーだったと思う。また8ギルダーだったか出せば入り口で電話機のような説明音声を拾える機械を貸してもらえる。中も混雑していてゆっくり見れないほどだ。そうそう、この美術館はリュックなど大きなカバンは持って入れない。クロークで預かってもらえるので事前に預けておこう!ゴッホの作品、僕にはあんまり感動を与えてくれなかった。それよりも3・4階にあった「 ゴッホと同じ時代の作家の作品集」の方がよかったかな?それにしても、ゴッホもオランダの人だったんだね?隣の国立美術館にはレプラントの作品なんかもあるらしいのでそっちにすればよかったかな?どっちにしてもあんまり美術に詳しい方でないのでいっしょかも???
そのあと昨日入れなかった「アンネ・フランクの家」に入った。一階がお父さんのジャム工場だったらしく、その上に隠れて住んでいた。有名な本棚の隠し扉もそのままだった。夕方だからかしれないが、日当たりも悪く陰気な部屋だった。こんな部屋でナチスにおびえながら多感な思春期を2年間も過ごしていたなんて・・・。たまたま、アンネはその日記が公表されて有名になったけど、同じ時代に同じように不幸な人生を生きていた人は少なくない。それが来んな平和なこの20世紀に起きていたことだなんてなんか不思議で実感が遠い。平和な時代に生きている幸せを感じた。アンネといえばナチス・ドイツなのにこんなオランダのアムステルダムまで不幸が占領していたなんて・・・。アンネの銅像は、近所の西協会の脇に立っている。前日は気づかなかった。
ここからの帰りに、おっさんメンバーのたっての希望で「飾り窓」を見学して帰ることとなった。ただ見学するだけだが、ダム広場とホテルの間の運が沿いにいかがわしいお店が並んでいた。窓辺に下着姿の女性がまるでショーウィンドーにならんでいる様に男性客を誘っている。もちろん観光地化しているのだが、カメラを向けてはいけないらしい。カメラを壊されるだけならまだしも、最近は銃弾が飛んでくることもあるらしい。それにしてもあんまり可愛い娘はいなかった。まだ、早かったからかそんなに女性の数も多くは無かった。大麻もこの界隈で売っている。ちょっと一人では歩きにくい通りかな?
この日の晩飯はダム広場側の中華料理屋にした。日本の中華とはちょっと違っていて、どちらかといえば南方系の中華料理って感じだ。メンバー7人が一同に会せる席がなく、空くのを待っていたが食事を終わったおっさんがいつまでもビールをチビチビ飲んで席を空けないのには苛着いた。店員もテーブルをサッサと片づけたりしたがそれでもおっさんは我関せずでなかなかビールを飲み干さない。まあ食事くらいゆっくりさせろ!ってところか?それにしてもこの店は、安くて繁盛していた。味もそこそこうまかった。
オランダは翌日に本旅行のメインイベントの一つ老人ホームを見学し、そのままスキポール空港からニース・モナコへ出かけたので実質この日が最終日だった。アムステルダムしか行ってないので良くはわからないが、運河と自転車と煉瓦の町でなかなかヨーロッパチックでよかった。花の咲く春ならもっと美しかったかだろう。お土産に空港でチューリップの球根とパンジーの種を買ったので、来年の春はその花を見ながら我家でオランダ気分を満喫しよう!チューリップの球根は一人99個まで持ち帰れるらしい。でも、安くもないし結構重いのでほどほどに・・・。

次はモナコ